バランスの話をしよう
「ワークライフバランスを捨てます」という言葉をニュースで見た夜、冷めかけたコーヒーを飲みながら、僕はその響きを何度か反芻していた。
“捨てる”というのは、ずいぶん潔い言葉だと思う。
でも、本当に人はそんなに簡単にバランスを捨てられるものだろうか。
働くことは、たしかに大切だ。
誰かの役に立っている実感があると、心の奥が少し温まる。
でも、ずっとその温度のままでいると、いつか湯気のように自分が消えてしまう気もする。
休むことや遊ぶことは、人生の“ノイズ”みたいに扱われがちだ。
でも僕は、そのノイズが好きだ。
休日に家の掃除をして、冷蔵庫の奥から賞味期限の切れたジャムを見つけたり。
こどもが落とした鉛筆の削りかすが、なぜかきれいな螺旋になっていたり。
テレビをつけたら、たまたま流れていた天気予報のBGMが、大学時代によく聴いていた曲だったり。
そんな何でもない時間は、意外と自分の輪郭を取り戻させてくれる。
8月、スタッフの残業時間は平均で月に1時間20分。
いちばん長いスタッフで2時間10分、いちばん短いスタッフでは0分。
毎日が残業というわけではない。
けれど、10分や20分が重なっていくと、
それはいつのまにか身体のどこかに沈殿していく。
見えないホコリのように、静かに。
月末「私だってこどもがいるんです」と言ってくれたスタッフがいた。
そう言える職場でいたい。
誰もが胸の中にある小さな生活を、ちゃんと抱えたまま働ける場所でいたい。
8月はお盆休みもあって、その前後はたしかに忙しかった。
けれど、その一文を言い訳にしてしまうと、なんとなく季節のせいにして夏を逃がすような気がした。
どうすればみんなが定時で帰れるかを一人押し問答し、机の上の書類をひとつずつ片づけていった。
9月の残業時間は平均で月に45分。
ほとんどの日で残業はなかった。
スタッフのあいだにあった小さな時間の段差も、少しずつ平らになってきた。
誰かの肩にだけ重さがかかるような構造は、形を変えていた。
その減った残業時間の中に、夕飯の湯気とか、子どもの声とか、そんな“生活の音”が静かに戻ってきたんじゃないかな。
もちろん、帳簿の上だけで残業を減らしたわけじゃない。
タイムカードを押したあとに働かせるような、そんなやり方はしない。
昼休みに働かせるようなこともしない。
昼休みの1時間は、全員がそろってとれなくても、誰もが自分の1時間を、ちゃんと休む。
それがこの場所の小さなルールだ。
仕事を終えた夜、診察室、処置室と電気をひとつずつ消していく。
電気を消して歩くたびに、部屋の空気が少しずつ夜に溶けていく。
窓の外の街灯が、床に細く光を落とす。
その光は、休む時間の影を受け取って、ようやく輪郭を持つ。
休みのない光は、すぐに世界を白く塗りつぶしてしまうから。
