一年生と厄年
明日は富士市救急医療センターの当番がある。家族は、体操の先輩が出場する東海大会の応援で三重県へ行った。つまり、僕だけ残った。留守番である。四十歳を過ぎた男に対して留守番という言葉が適切なのかはわからないが、家族が全員出かけて自分だけ残るのだから、たぶん留守番でいいのだと思う。
せっかくなので、一人で温泉に行くことにした。ちょっとドライブして山梨県南部町の「なんぶの湯」。一人で温泉に行くのは久しぶりだった。
露天風呂に入る。気持ちいい。これだけで来た意味はあった。最近は何をするにも意味を求めてしまうので、「来た意味はあった」と考えてしまうこと自体、あまりよくないのかもしれない。でも、気持ちよかった。それでいい。
水風呂にも入りたくなって、サウナへ行った。
テレビでは甲子園をやっていた。日本文理高校(新潟)が大分商業(もちろん大分)に4対2で負けていた。6回裏、3年生のエースから1年生の投手に代わったところだった。高校1年生で、甲子園のマウンドに立っている。すごいな、と思った。そして、そんなことを考えながらテレビを見ている自分に気づいた。僕はどうも、テレビを見ているときにまで、その意味を考えてしまうらしい。
息子は野球観戦が好きだ。そして、なぜか阪神タイガースが好きである。だから甲子園という場所にも特別なものを感じているのかもしれない。もし今、息子が隣にいたら、この試合にもきっとかじりついているだろう。でも、息子はこの試合を見ながら、何を考えるのだろう。1年生なのにすごい、と思うのだろうか。逆転するかな、と思うのだろうか。それとも、そんなことは何も考えず、ただボールの行方を追っているのだろうか。
僕は甲子園を見ながら、甲子園を見ている息子のことを考えていた。こういうところが、最近の僕には少しある。その1年生が、ちゃんと0点に抑えた。
「よし、水風呂に行こう」
と立ち上がった。サウナの出口まで歩いた。
そして滑った。
見事に滑った。
人間は本当に転ぶのだと思った。転んでいる時間は、おそらく1秒もなかった。でも、僕には妙に長く感じられた。
「あ」
と思って、
「転ぶ」
と思って、
それでもまだ床に着いていなかった。
スローモーションだった。
右前腕と左の手のひらと左の小指を強打した。痛かった。骨折はしていなさそうだった。そして、怖くなった。さっきまで何でもなかった床が怖い。濡れている。滑りそうだ。というか、実際に滑った。だからこれは妄想ではない。急に弱気になった。
そこで午前中の娘のことを思い出した。
娘は体操をやっている。今日、平均台の上で側転するのを躊躇していた。見ている僕は、「大丈夫」と思っていた。練習しているし、できるんだから、やればいい。でも、違った。
痛いって、怖いのだ。
当たり前のことなのだけれど、自分が痛い目に遭うと、当たり前のことが急に具体的になる。できるかどうかと、怖いかどうかは別の話なのだ。平均台から落ちたら痛い。サウナの出口で転んでも痛い。床から数センチのところを歩いている僕でさえ怖くなったのだから、細くて高い平均台の上で側転する娘が怖いのは当然だった。
午前中の僕は「大丈夫」と思っていた。
夕方の僕は「そりゃ怖いよな」と思った。
数時間で、人は少し変わるらしい。転んだ直後、同じくらいの年齢の男性が、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。うれしかった。たったそれだけなのに、かなりうれしかった。痛いと、人は心細くなるらしい。普段、仕事では毎日のように誰かの痛みの話を聞いている。どこが痛いのか。いつから痛いのか。動かすと痛いのか。そういうことを聞く。でも、自分が痛くなってみると、その質問と質問の間に、普段は見えていないものがあるような気がした。
痛い。
怖い。
これ、治るのかな。
もっと悪くなったら嫌だな。
もちろん、今日ちょっと転んだからといって、人の痛みがわかるようになったなどと言うつもりはない。そんな簡単なものではない。でも、自分が痛い目に遭ったあとなら、昨日よりほんの少しだけ、誰かの「痛い」を想像できるかもしれない。そう考えると、今日転んだことにも何か意味があったのかもしれない。と、また意味を求めている。別に意味なんてなくてもいい。
ただサウナの出口で滑って、痛かった。
知らない人が声をかけてくれて、うれしかった。娘が平均台を怖がっていた気持ちが、少しわかった。それだけでいいのだと思う。ちなみに、僕は今年厄年である。
厄年だから転んだとは思っていない。
思ってはいない。
でも、帰り道はいつもより慎重に運転した。そしてクリニックに戻ってきてからも、右腕と左手がまだ少し痛い。たぶん明日の朝も痛いだろう。その痛みにまで何か意味を探しはじめたら、さすがに少し面倒なので、今日はもう寝ようと思う。
最後に、日本文理の試合結果が気になって調べてみた。最後は追い上げたものの、6対4で負けていた。あの1年生も、そのあと打たれたらしい。そうか。打たれたのか。でも、甲子園で打たれたんだな。土は持って帰ったんだろうか。
一年生には、来年がある。
厄年の僕には、打ち身がある。
