落ちはなくとも、ホットティーでも、これでいいのだ。それでいいのだ。
去年はインフルエンザで中止を余儀なくされ、ようやく2年越しに開けた忘年会だった。
その記憶がまだ残っているせいか、今年の忘年会は、ただ集まれること自体に少しじんわりくる。
乾杯の瞬間、僕は飲めないスタッフとまさかのホットティーを手にしていた。
乾杯だからといって全員にグラスを鳴らしに行くでもなく、湯気の立つカップを軽く掲げるだけ。
これくらい自由な忘年会でいい、という暗黙の了解がうちにはある。
これでいいのだ。
エピソードトークも、“すべらない話”なんて最初から誰も期待していない。
ここは女社会だし、男の理屈や構成で場をつくろうとしても、きっと何もうまく回らないことは、僕だってわかっている。
それでいいのだ。
「子どもを寝かしつけるグッズが今年いちばん買ってよかったものです」
「家族に言われて一番刺さった言葉が、まさかの子どものダジャレで…」
そんな“落ちがなくても温かい話”が、むしろ場をゆるく照らす。
誰かの日常がふっとテーブルに置かれて、なぜかそんな話でも僕たちは結構笑っている。
気づけば夜はあっという間に過ぎていた。
飲む人は飲む、飲まない人は飲まない。
そしてみんな、それでいいと思っている。
こうしてクリニックの外で一度呼吸をそろえると、今日からの1日に少しだけ深みが宿る。
クレームブリュレの焦がし砂糖が、スプーンの先でパリッとと崩れた。
その甘さにコーヒーの苦味を重ねると、夜がゆっくりと深度を変えていくのがわかる。
「来年もよろしく」
「とりあえず、明日ですよ」
どこにでも転がっていそうなやり取りなのに、なぜか胸の奥に灯りのように残った。
言葉というより、温度に近いものだった。
店を出ると、12月の風が頬を鋭く撫でていった。
