メニュー

長崎24時間;屋台20分、ランニング120分、発表10分、恩師120分 ~計算の合わない学会旅(第40回日本臨床リウマチ学会総会)~

[2025.11.29]

たった24時間の長崎。
今、空港のゲート前で飛行機を待ちながら、昨日ここに降り立った自分を思い返している。時計はもうすぐ21時を知らせる。

ちょうど24時間前の21時20分にこの場所に僕は到着したんだ。
空港から向かったのはホテルのある新地中華街。
長崎の中華街は夜が早い。ほとんどの店がシャッターを下ろした静かな街で、ふだんなら僕はチェーン店かコンビニで済ませてしまうところだけど、その夜はどうしてか、ホテルの目の前にあった屋台の灯りに吸い寄せられた。

「長崎を味わう時間がないなら、せめて何か起こりそうな場所でもいってみるか。」

そんな気持ちだった。
これは珍しい。
自分でもびっくりした。
普段ならできるだけ人と関わらなくて済むようなチェーン店やコンビニでなんかちょっと買って済ますはずなのだが。
妻に言われた「なんか長崎らしいものでも食べてきなよ」って言われたのがひっかかってたんだ。

そして本当に“何か”は起きた。
NHK『ドキュメント72Hours』に出てきそうな、あの独特の人間模様がぎゅっと詰まった小さな屋台に、僕は座った。

そこには、ビールを飲む2人組。
僕が泊まるホテルで働いているという、自称「友達がいない」若者。
そして33年前からこの屋台でラーメンを作り続けてきた店主と、その奥さん。

ほんの20分ほどの出来事。
外から来た僕を長崎の温度まであたたかくしてくれた人たちの顔と、屋台の湯気の中で食べた

">「長崎らしいかはよくわからなかったとんこつラーメンとおでんのやさしい味」が、旅の体温を決めた夜だった。

ホテルに戻って風呂に入り、そのまま泥のように寝た。
16時まで診療して、急いで新富士駅へ向かって、あの新幹線に乗り遅れたら長崎に着けなかったところを、運転手さんが頑張ってくれたおかげでギリギリ10分前にホームに滑り込み、ようやく手に入れた長崎の夜だった。

翌朝は5時に起きて、まだ眠っている長崎の街を2時間かけて走った。
冬の学会の朝、僕は透明な光の中で知らない街をゆっくり好きになっていった。

朝から疲れ切った体をリセットするためにあたたかい風呂と水風呂を交互に入り、「発表の時くらいたまにはスーツでいきなよ」と妻に言われたから持ってきた着なれないスーツを着て、路面電車に揺られながら出島メッセへ。

最近、僕は妻の言うことをよく聞くようになった気がする。

僕のセッションは最初の演者が演題取り下げのため、いきなり僕が先頭打者になった。先頭打者ホームランというわけにはいかなかったけれども、長崎の光の中で未来の背中を追い始めた。

免疫チェックポイント阻害薬のセッションを聞いたあとの休憩時間。
そこで、聖隷浜松病院時代の恩師・宮本先生とばったり再会した。

「久しぶりだなあ。」

そのひと言に、あの頃の自分がふっと帰ってくる感じがした。
気づけば2時間近く話し込んでしまい、移行期医療のセッションには行かずじまいだった。でも、それでよかったと思う。ああいう時間は、自分で作ろうとしても作れないから。

そして、今。
長崎空港の椅子の上で、24時間前と同じようにスーツケースの隣で座っている。
でも、たった一日でも街は僕の体温を変えた。
昨日知らなかった長崎の温度が、僕のどこかに確かに残っている。

この街に来てよかった。
そう思いながら、21時5分の搭乗開始を待っている。

HOME

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME

質問はこちら