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思い出のレストランは却下されて、向かった先はベトナムだった ~サプライズの意味を知っているのだろうか

[2025.07.21]

「今日は何の日だかわかる?」と、妻が聞いてきた。

答えはすぐにわかっていた。なぜなら、毎年この日に確認されているからだ。
もはや恒例行事のような問答になっている。けれど、たぶんそれを「恒例行事」と口にしたら怒られる気がしたので、いったん何も知らないふりをしてカレンダーを見てみる。7月20日。だれかの誕生日でも結婚記念日でもない。僕たちが結婚式を挙げた日「結婚式記念日」だ。12年前の、暑い夏の日。

式の当日、朝から落ち着かなかった。緊張で手が震え、なぜか涙が溢れて、式の最後の言葉がうまく出てこなかった記憶だけはやたら鮮明に残っている。でもその横にいた妻は、静けさと落ち着きをまとっていたんだ。

そんな記憶があるからではないと思うが、この日になると毎年、必ず妻はこの日を確認してくる。
そして僕は、毎年「思い出す」ことにしている。

朝はこどもを草薙まで送っていった。体操のお姉さま方の東海大会の応援。車で送るだけで、あとは会場までは自分達で小走りでいく後ろ姿に、僕は少しだけ寂しさを感じた。もう、あの手を引いて歩いていた日々は過去のことになりつつある。

こどもを見送ったあとは、妻とふたりでカフェへ。文庫本とスマホにデカフェのICEのアメリカーノとHOTのソイラテ。僕たちはとてもちぐはぐだ。それぞれが好きなことをして過ごす3時間。途中で雑談をしたり、こっくり寝てみたり。こういう時間が、いつの間にか自然なものになった。12年前には想像もできなかったような、でも、いまの僕たちにはしっくりとくる時間。

「婚姻届を出したあとに行ったレストラン、ここだよね?行ってみようか」と僕が言うと、妻は少しだけ間をおいて、「それより、行ってみたいベトナム料理の店があるんだけど」と言った。

その提案に、僕はすぐにのった。僕はベトナム料理が好きだ。

ベトナム料理店の中は、エスニックな香りに包まれていた。フォーの湯気の向こうで、妻が笑っていた。

「サプライズのプレゼント、楽しみにしてるね」と、にこやかに言いながら、生春巻きにかぶりついていた。

その言葉を聞いたとき、フォーのスープをすする手がほんの少し止まった。僕は内心で思った。彼女は“サプライズ”の意味を、本当に知っているのだろうか。待っている時点で、もうそれはサプライズじゃないし、そもそも要求された時点で、もはやサプライズですらない。いや、もっと言えば、サプライズというものは、する側が勝手にやってしまうからこそ成立するのではないか。

だけど、彼女はにこにこと笑って、まるでこちらの心の揺れなど知らないかのように、タレに生春巻きをたっぷりと浸けていた。たぶん、その無邪気さも含めて、もう出会ってから13年も一緒にいる。何を贈っても驚かれないという安心と、何を贈らなくても少し拗ねられるかもしれないという緊張のあいだを、僕はいまだに行き来している。

スープの味は、いつの間にか冷めかけていたけれど、なぜか、ちょうどよかった。

帰り道、車の窓から見えた空には、夏の夕暮れがゆっくりと溶けていくようだった。
何か特別なことをしなくても、こうして誰かと同じ時間を共有していることが、何よりの贈り物なんだと、年を重ねるたびに思うようになった。

答えはすぐにわかっていた。
だけど、わかっていても毎年、聞かれるのがいいのかもしれない。
そしてそのたびに、「そうだったね」と笑い合えることが、きっと結婚というものの、ひとつのかたちなのだと思う。

でもやっぱり最後に毎年思う。「結婚式記念日」なんて世間に存在するのだろうか。

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